高校生の頃お世話になった方に、大谷ほづみさんがいます。
大谷さんは当時、市立船橋の選手で私より一学年上でした。

大谷さんが高校2年生のとき、高校駅伝の女子大会が初めて開催されました。
その記念すべき第1回女子全国高校駅伝で大谷さんは1区を走り区間5位、市立船橋は総合優勝。第2回大会でも、大谷さんは1区6kmを走り19分45秒で区間3位、チームは2位。この時の区間賞は鯉川なつえさんでした。鯉川さんに最後まで喰らいついていく大谷さんの粘り強さは高校生離れしたものがありました。
大谷さんの同級生には、2区を走った高杉裕子(現・近藤)さん、5区を走った川嶋晶子(現・小高)さんがいらっしゃって、この3人は強い市船の象徴的存在で、地元での人気も相当なものでした。
大谷さんの高校生の頃のベストは3000mで9分30秒台、5000mは16分40秒台だったと記憶しています。
当時はメールも携帯電話もない時代だったので、大谷さんとの会話は、一緒に練習をするときや、家の固定電話、そして手紙でした。
高校駅伝も終わって進学も決まっている頃にいただいた手紙には「はやく試合を終わらせて遊びたい」とありました。
「試合」というのは、毎年2月に開催されていた千葉国際クロスカントリーです。
この頃一緒に練習をした内容は、200×20本(レスト200ジョグ)をこなした3分後に1000mを1本。その1000mを2分54秒。
怪我もあったので軽めではありましたが、この時期でも遊ばず練習を重ねていました。
大谷さんは千葉国際クロスカントリーで日本人6位以内に入り世界クロスカントリーの日本Jr代表になります。日本代表となり、福岡国際クロスカントリーに出場し、そのまま3月の世界大会へ。残念ながら、遊ぶ暇はほとんどなかったことでしょう。

東京農大短大に進学し、高校駅伝に続き、大学女子駅伝でも全国優勝。駅伝の神がいるのだとしたら、大谷さんはまさしく神の祝福を受けた人です。そしてそれだけの努力をした人です。
短大卒業後、大谷さんは第一生命陸上部へ。
その5月、第2回仙台国際ハーフマラソンでは1時間13分53秒、2位(日本人1位)。
翌年の夏、私が世田谷区の第一生命グラウンドを訪れた時、坐骨神経痛で苦しんでいるようでした。
その後しばらくして引退。
1996年、マラソン100傑の97位に大谷さんのお名前があります。
北海道マラソンで2時間50分で15位、所属は東京陸協。
引退後なので、あまり走り込みは出来ていなかったと思われるけれど、それでも3時間以内で走ってしまうあたりは流石の一言。
大谷さんからの手紙で「また話はもとにもどるけど死ぬ気で練習をバリバリやって…」と私は言われています。
「また話はもどるけれど」…つまりこの手紙の冒頭部分でも死ぬ気で練習を、と言われているのです。
一緒に練習やお話をさせていただいて、私は苦しい時にすぐペースを落としていることを見透かされていました。
「もっと集中して、自分を追い込まないと」
と言われたときのその声は、今でも耳の中に響いています。
強くなろう、速くなろうと真剣に思えば、結局のところどれだけ自分で自分を追い込めるかにかかっていると言っても過言ではありません。 そして自分を追い込むために必要になるのが、集中力。 1000mを1本走るにしても、途中で集中力を途切らせたままスパートもせずに走り終えては、意味がありません。
そしてこの手紙をいただいた年、私は強豪校の練習に積極的に参加させてもらうようになりました。 自分の練習不足と練習に取組む姿勢の甘さを思い知らされ、愕然としたのをよく憶えています。 上を目指すきっかけと、その道を示してくれたのが大谷さんでした。
私は今、走ることで何かを目指してはいません。 マラソンなどで記録を目指すこともありません。 走ることでは何も目指していない私でも、たまにシューズを履き、玄関を開けて走り出します。 もしかしたら、逝ってしまった大谷さんと会話するために走りたくなるのかも知れません。 時々、そう思うことがあります。